このページを開いてくださってありがとうございます。
このブログの製作者〈KAZ〉と申します。
このページでは『俺専用Z1R(オレセンヨウゼットワンアール)』と僕〈KAZ〉について書いていきます。
俺専用Z1Rについて
このブログのタイトル通り、僕〈KAZ〉が愛機であるKAWASAKIのKZ1000D3
通称Z1R(2型)を数年不動の状態から息を入れてやり、俺専用にチューンしていく様子を書いていくブログという意味です。
あとは自分が考えてることや感じたことなどノンジャンルでフリースタイルに書いていきます。
(要は好き勝手に雑記も書くよってこと)
あと僕が書いた記事で笑ってもらえれば嬉しいです。
〈KAZ〉について
生まれ育ちともに福岡県福岡市です。
子供の頃は実家が自然豊かなところだったため、海や山で毎日のように遊んでました。
小学校の高学年ぐらいだったでしょうか、親戚の人に「ポケバイ」をもらって乗ってみたところ、、、
ものすごい衝撃を受けました(笑)
こんな小さな機械でアクセルを開けるだけでいとも簡単に人間以上の能力が出せるんだ!!
あの時の感動とうまくコントロールできない恐怖は今でも忘れません。
「どこへでも行ける」マジで思いました。
時は流れ高校時代は原付免許を取得HONDA Z50J 通称モンキーを手に入れて自分の行動範囲が劇的に広がって、友達の家にいくのも楽勝!
バスや電車の時間を気にしなくていい、コレが自由か!! と思ってました。
「どこへでも行ける」マジで思いました。
整備士へのきっかけ
そうこうしてるうちに整備の真似事をやりだして、まぁ出来るわけもなく壊してバイク屋に持っていってました。
そこで働いていた整備士の人と仲良くなり色々質問しまくってました。
その整備士の人は当時小僧だった僕の質問に全部こたえてくれました。
(カッケェ、、俺もこんな風になりてぇ)進路決定(笑)
「整備士になろう」思い立ったら早かったです福岡には当時、自動車整備専門学校が2校あり
ひとつは西鉄自動車整備専門学校。もうひとつは第一自動車整備専門学校でした。
ふたつともオープンキャンパスにいって第一はわりかし自由な校風。
西鉄の校風は「少数精鋭」
ヤバイ、バリかっこいい西鉄で決まり(笑)
少数精鋭と国家試験合格率100%
無事に?入学して新しい生活がスタートしたのもつかの間、さすがは「少数精鋭」成績が悪い人はバンバン去っていきました。
そりゃあもう、本当に。
基礎的なところを終え、いよいよ国家試験の勉強がメインなってきた頃クラス分けがありA.A’.B.B’.C.V.の6クラスに分けらます。
成績順(テスト順位)でクラス分けされ、成績が悪ければ勉強時間が強制的に増えていきます。
要は勉強時間を増やして強制的に過去問の繰り返しをさせて、点数をとれるようになってから理解でも良い。
…さすが西鉄…さすが合格率100%
トップクラスのAはなんと...午前中で帰れます。最下位のVクラスは通常どうりの授業時間プラス居残り確定でした。
授業が終わっても先生が勉強を見てくれるなんて贅沢!まさにVIP!そうVクラスのVはVIP(ビップ)のV。
最初のクラス分けで僕は当然「V」でした。(ですよね~、クソッタレ)
当時すごく仲の良い友達と「赤点王」を競っていましたからねぇ。
追試代がたしか1教科につき1000円。くっ…バイトで稼いだ金が…
その友達とAクラスの連中がドヤ顔で帰っているのにガンギレ!
勉強でも負けん!なんのこっちゃ(笑)
いやぁやりましたよ。人生ではじめて。勉強を。もうね、母ちゃんが
「あんた、大丈夫とね?」っていうくらい。
……一生懸命勉強してる子にかける言葉か!
結果いきましたよ「A」に!二人とも!ここで勉強することの大切さを学びましたね。本当に。
就職活動
国家試験対策ともう一つ、そう就職活動です。
今ほどじゃないにしろ当時もまあまあの就職難で「手に職」って言っても僕たちは今からつけるわけですから「手に職」を。
落ちる人は5,6社おちてましたね。大したことない数字かと思うでしょうが、日本の車メーカーってそんな多くないでしょ?
つまり希望のとこはそう簡単にいけないってこと。あくまでディーラー希望ですが。
僕はというと僕以外全員が車の整備にいくことを希望してました。当時、西鉄を出たら車の整備士というのが当たり前でした。
担任の先生「お前、どうするんか?」
僕「単車の整備士になります。」
担任の先生「はぁ?なん言ようとや?就職案内見てんやい!なかろうが!」
僕「ですね!自分で何とかします!」
担任の先生「そうや!もう知らん!勝手にしろ!」
僕「ええ、そのつもりです。ニヤリ。」
……勘のいい人は気づいてますよね。
「上等たい!就職でも負けん!」なんのこっちゃ(笑)
ここであのバイク屋の整備士の人に相談「なら某社に行ってんやい。俺もはじめはそこで学んだけん」
速攻でその某社に電話して働きたいことを伝え願書やら面接やらもろもろ段取りました。
学校側も僕が自分で段取って準備していたら面接の練習とか他の生徒と同じに扱ってくれました(当たり前か)
担任じゃない先生からは「お前の他にうちの卒業生でバイクに進んだ奴が一人いる、がんばれ」
とか「うちではお前みたいにガンガンいく奴はめずらしい。見てて面白いよ!がんばれ!」
とか言ってくれる先生もいて
「しゃあ!やったろかい!」ってなってましたね。
就職試験
面接にて
面接官「君はとても元気がいい!整備士希望みたいだけど営業でやってみないか?」
僕「いえ、整備士以外は考えておりません。」
面接官「君は営業が向いてるよ!絶対!」
僕の心の声(馬鹿かキサン!たった数十分で何が分かるん?初対面ぞ!俺が単車の整備士になるのにどんだけ努力したか分かるんか? あぁ?ホントに初見で人を見抜けるんならお前こそ別の道いったが良かぜ!マジで!!!!!!!)
僕「いやぁ…僕、単車の整備士になるために専門学校に行ってここまできたんで…」
面接官「営業じゃダメかい?」
僕「ええ。」
面接官「営業いいよ営業!絶対!」
いや知らんし!マジしつこいし!
僕「整備士じゃないなら行きません!!」キッパリ
面接官「どうしても?」
僕「ええ!ここで引いたら意味ないですから!」
面接官「そうですか…わかりました。本日はお疲れ様でした。」
僕「はい!ありがとうございました。失礼します。」
...あっさり受かりましたwww
いやぁ~実際ひやひやでしたね(笑)当時の僕は。
面接終わって車に戻ってしばらく放心状態でしたから(笑)
やっちまった~って。(ここ1社しか準備してなかった。あっぶね~。)
まさかの…
入社までにやっておく課題や配属先が書かれた書類が一式送られてきて確認したところ…………
「岡崎市」
「どこへでも行ける」……………..…いや、ちがう!ちがう!!どこ?まじで。中学校の社会科の地図ひっぱり出しましたよ。
「愛知やん!チカッパ遠いやん!最悪や!」声出ました。自分の部屋で。一人で。
「…しゃあない」そう会社に勤めるということはこういうこと。良い経験になると言い聞かせていました。
本心では行きたくね~。福岡出たくね~。と思ってました。
入社
いやぁ~ビビりました。終わんないんだもん仕事が。えっ?うそ?ここバイク屋やろ?
先輩が「店を閉めてからが本当の仕事だよ」
いや意味わからん。早よ終われ。ここバイク屋やろ。
完全にあまちゃんでしたねぇ。ここはバイク屋はバイク屋でも日本で一番バイクを売っているバイク屋だったんです。
1日1台は何があっても売れるって信じられないですよ。だって売ってるのバイクですよ。肉まんじゃないんですよ。
とにかく辛かった。肉体的にも精神的にもヤられてましたね。寮にあるカレンダーに1日が終わったら×印つけてましたもん。
...マジ囚人。
1年で辞めてやる!...と思ってました。上司が変わるまでは。
自分で言うのもアレですが、ひたむきにやってたんです。整備が出来るようになりたかったから。
けど入社当時の上司たちは、出来ない=弱いもの。自分の言うことを無条件で聞かないといけない奴。馬鹿にしていい奴。
みたいな感じの人たちで最悪でしたね。
僕は僕で顔に出るタイプだったので上手くいくわけもなく相当やられてましたよ。
ハッキリ言ってイジメですね。あんなの。1年で辞めてやる!ってなってました。
ここをすすめてくれたバイク屋の整備士の人にも身の振り方、辞めた後のことを相談してしてました。...が
整備の上司が変わりました。見た目は完全に怖い人でしたね。ええ。完全に。
ですが、この人がスゴイ。マジでスゴイ。僕が今まで見てきた先輩、上司、すすめてくれた整備士の人、全部含めても圧倒的にこの人の勝ち。完全に。ダントツで。
『技術があるということはこういうことなんだ』
衝撃を受けたのを覚えてます。
僕「俺も工場長みたいになれるっすかねぇ」(若干ふざけて)
工場長「なれるだろ。ひたむきにやってるし。俺が教えてやる!」(マジメ顔)
泣きました。隠れてちょっとだけ。
「俺が教えてやる!」…マジで叩きこまれましたね。自分でも解るぐらいグンと伸びました。そしてよく喧嘩もしました。
クレームで預かってるCB750K2のエンジンを工場長がバラすだけバラしといて
工場長「あと、組んどいて!頼まぁ!」
...おいっ!(マジか明後日取り来んだぞ!お、おおお、お前あした休みやろ!)
そういや前飲み会で「バラすのは楽しいんだよ。バラすのは」って言ってたけど
………..実戦でやる?普通ぅ。
なにが言いたいのかっていうと
「最高に楽しかった!」ってこと!ええ。わかってますよ。クレイジーだなって自分でも思います。
工場長とは4年ちょっと一緒にやってましたね。完全素人だった僕も副工場長になりバチバチやってました...が
工場長が移動になりました。
なんだかんだ言ってもかわいがってもらってたのでさみしかったですね。んで
整備の上司が変わりました。見た目は完全に怖い人でしたね。ええ。完全に。
前の工場長が圧倒的に技術があった人だったので今回の人はいうほどないでしょ
ってなめてましたね。
メッチャ出来る人でした!サーセン。
不思議なもんで仕事を一緒にやるとすぐ分かるんですよね。出来るか出来ないか。ほんと不思議です。
クチばっかの人はすぐバレます。ほんと一瞬で。
『技術は嘘をつけない。技術は嘘をつかない。』BY〈KAZ〉
結局この上司とは数か月しか一緒にできませんでしたが、色々教えてもらいました。この後に僕は福岡へ移動になるんですが
この二人には本当に世話になりました。人生で本当の意味で「お世話になった人」って出会うの少ないと思う。
もしかしたらそんな人いないって人もいるかも。
それを同じ場所で2回もあたるなんてミラクルですね。感謝します。
福岡に車で移動中の伊勢湾岸道路で号泣しました。もう前が見れんぐらい。
物凄く濃い5年でしたね。
無事に?福岡に帰ってきて新しい職場はハッキリ言って最悪でしたね。
まず技術がない。致命的ですね(笑)
クチばっかの人はすぐバレます。ほんと一瞬で。
出来んくせにプライド、クチだけは一丁前でしたね(笑)
『技術は嘘をつけない。技術は嘘をつかない。』BY〈KAZ〉
例えですがこういう言葉も卑しくパクるような程度の低い人たちでした(笑)
語尾に®つけてぇわ。マジで。
『技術は嘘をつけない。技術は嘘をつかない。』®
よしコレで大丈夫。(じゃない)
こんなところに居ても意味ないので辞めました。
ここで得たものは少しの後輩ですかね。これだけはかけがえのないものですね。
退職の意思を会社に告げると聞きつけたんでしょう、やっぱり愛知の二人から毎日2時間以上の電話攻めでしたね。予想はしてましたが。
嬉しいやら辛いやらでしたが自分で決断したこと。と思い申し訳ありませんが最終的には「我」を通させてもらいました。
印象的だったのが二人とも「これからも頑張れ、また連絡しろ」って言われたことですね。会社とか組織とか関係ないんだなって思いましたね。
んで今は整備とはまったく畑違いの仕事についてます。
ここまで読んでいただき有り難うございます。いや~長いですね(笑)
〈KAZ〉はこんな感じの人間です。
どうぞヨロシク!